共依存からの脱却

私は今まで他人を
「私を承認するに値しない人間」
と思うことによって自分を守ってきた。

誰にも私の存在価値の有無を決める資格はない。
私の存在価値を認めているのは私だけだ。
相手の価値基準に惑わされてたまるか。
人間の存在価値を承認するのは私の側だ。

この考え方で他人と接していると、メンタルは最強になる。
誉められてもけなされても、それは相手が私に期待する人間像の説明としか思わない。

みんなが見つめているのは妄想だ。
本当の私を見ている人は誰もいない。
そう思うことで、承認欲求のスイッチをオフにしてきたのだった。

代わりに私は他人の承認欲求を満たすことで自分の価値を確かめた。
他人に許しを与えることで、私は他人に価値を決められる側でなく、他人の価値を決める側でいられる。
自信を抱かせるほどに、私はその人を「承認するに値する人間」として認められたことになる。


……しかしその考えは欺瞞だ。
所詮は自己防衛のための処世術。
所詮は関係をコントロールするための策略。

だって、私は他人を承認するとき、いつも他人の中に投影している私を見つめているだけなのだ。
私にとって共感とはそういうことだ。
私のほうこそ、本当の他人が見えていない。
他人を抱きしめるとき、私は自分を抱きしめている。

私はいつも誰かに「あなたが私の一番の理解者だ」と言われたくてたまらない。
それは、誰よりも私が自分の理解者を求めているからだ。

他人を愛する幸せは、私のそうした倒錯なのだ。

もう他人の中に自分を探るのはやめて、いい加減ダイレクトに自分自身と向き合わなければいけないと思っている。
私は私を認めたいし、私の理解者になりたいのだから。