肯定されたい自己とは

「本当の私」とはどんな姿なのか。
理解され認められたい自分とは何なのか。
それを明らかにするには、抑圧してきた世界に対する不満と期待を自覚する必要がある。
それは普段は意識の上に登らないが、自身の行動原理の根本に関わる問題だ。

「人間なんか嫌いだ。どうせ見捨てられる。」
という人は、人間に見捨てられないことを期待しているからこうした不満を言う。
「神様なんかいないよ。救ってくれないし。」
という人は神様に救われることを期待しているからこうした不満を言う。

悲観的になったり否定的になったり絶望したりするのは、期待の大きさの表れであったりする。
しかし、その期待の内容がもし過剰なものや現実離れしたものであったとしても、当人はそれを与えられるべき報いだと確かに実感し、信じている。

私が理解され認められたい「本当の私」も、おそらくそういったものだ。

「本当の私」と向き合うために自己防衛機能の鎧を捨てた私は、急に無力になった。
今まで他人に否定されるほど沸いてきた闘争心にも似た自信が、まったく感じられない。

むしろ自分の意思が消えてなくなるような感じがする。
自分だけは自分を認めているなんて嘘だったのかもしれない、「本当の私」はからっぽだったのかもしれない、と思うほど自分の存在に実感がない。
自分自身に何の魅力も感じていない。
このままだと廃人になってしまうかもしれない。
他人から逃げた結果自分からも逃げてこのままだと精神的に死ぬような気がしている。
本当にすべてのことに自信が持てない。

新たな勇気が必要だ。

私は世界に対して抱いていた不満と期待をまだ抑圧したままでいる。
それは理不尽で幼稚な要求かもしれない。
しかし、その不満と期待を自覚しないことには、「本当の私」の意思は見えてこない。
肯定されたい自己はわからない。

私を無価値で無意味な存在だとする世界を、否定する勇気がない。
その勇気を出さなければ本当の自信は沸いてこない。
まだ切り替えの努力が足りないのだ。