夢はいらない

夏の間、私は無理に自己価値を信じ自己肯定しようとすることをやめた。
健全に他人を愛し他人に愛される関係を目指すこともやめた。
そのことでひとつの不安から脱し、楽になった。

私は自分を信じてなんかいないし、むしろ自分を疑うことでしか自分の存在を感じられない。
他人を正しく愛する方法も、他人に愛されたい気持ちも理解できないし、消費し消費される関係しか実感できない。
でもそれが自然なことであり、違和感のない現実なのだ。

大切なのは、見えるものを見、知っていることを知ることだ。
今起きている問題に気づくこと。
現実を認識し、状況を理解すること。
そこからしか何も始まらないのだ。
実感のない夢や希望は救いになるどころか、足かせにしかならない。

たぶん私の目的は個人的な苦悩を解消することであって、幸福になることではないのかもしれない。

自分を肯定すること
自分を信じること
他人を愛すること
他人に愛されること
社会に必要とされること
目的を目指すこと
理想を抱くこと

こうしたポジティブな能動性が、時々恐ろしく虚しいものに思える。
それはこうした希望に満ちた言葉が人々を社会に順応させるための洗脳の道具になりがちだからというのもあるし、短絡的に目的を設定し空回りすることで本来解決すべき問題が先伸ばしにされるからだ。

前に進むためには、今ここにある自分の苦しみを見つめなければならない。
それは易々と夢を語ることより、ずっと難しい。

まずは自分の苦しみを受け入れ理解すること。
そしてそれを乗り越えること。
それがリアルだ。

夢は、そのずっと先にある空虚だ。