自称マゾの自己矛盾

21歳のときに始めてバイブを使ってオーガズムを知った私は、それからオーガズムのためのオナニーをするようになった。オナニーをすると、自分がどんなものにどのように性的興奮を感じるのか、だんだん自覚できるようになってきて面白い。

私はオナニーをするときはたいてい恋人との性交渉を思い出すが、それ以外の場合だと頭の中で細かい設定のストーリーを組み立てる。
そのストーリーにはお決まりのパターンのようなものがある。ひとつは、最終的に無理矢理レイプされるということ。計画的なものはダメで、衝動的なものでないといけない。次に、自分も傷つけられるが、加害者も恥をかいたり惨めな思いをしていたり弱い立場であること。
このように快楽のために自ずと生まれたストーリーから、SMにおいて私がどのような役割を好むのかが見えてくる。
つまり、私は痛めつけられ傷つけられるのが好きなマゾだが、下淫(自分より立場が弱かったり身分が低い相手に興奮すること)なのである。相手に対して、笑ってしまうような滑稽さと同時に、身の安全を脅かされるような恐怖を感じたい。
ここに既に矛盾のようなものがある。

ところが、私のこうした性質は思いがけず職業としてのM女の素質として生活に生かされることになった。
「Sはサービス、Mは満足」というようなSM界の王道的哲学に生きるM女から嫌われるような、いわゆる「自称S男」への対応が、私にとってはそこまで苦にならなかったのだ。むしろ避けられがちな彼らの心の深みに、嫌悪も感じるが、同時に人間的魅力を見いだして楽しむこともできた。女性への無理解、身の丈に合わないプライド、抱えている劣等感、社会生活での抑圧、性暴力願望、幻想の中での解放……そういう弱さへの愛憎を感じる。
それに、私にとってはそんな男に「金で買われる」こと自体が、ある種の自傷的なプレイであるようにも感じる。
本格的とはいえないソフトなものだが、SMや変態の世界に携わって素人系プロ6年目になる。それを職業としてやること自体が、半ば趣味のようになりつつある。
自己矛盾していたおかげで社会の矛盾に適応したということなのかもしれない。皮肉な幸運である。

では、私生活はどうなのか。
私は恋人と同棲しているが、彼はほとんど無職である。趣味程度に仕事をしているが、収入は私より少ないし安定していない。実質私が生活費を負担することになる。要するにヒモである。
今でこそ恋人になったが、以前はもっと割り切った関係だった。
彼に理想的なSの素質を見出だした私は、ヒモにならないかと話を持ちかけた。目的は彼を囲い込んで理想のサディストに育てるためだ。決め手は、首を絞めるときの躊躇のなさと、そのときの爽やかで不気味な笑顔だった。
事情があって住むところも金もなかった彼は家に転がり込んできた。
私が生活を保障する代わりに、彼は私にときめきや快楽を与えなければいけない。それができなければ追い出す、という約束で共同生活が始まった。

一般的なS男とM女の関係は、S男がM女を囲って養い支配するというものである。
彼と私はプレイにおいてこそS男とM女だが、関係における主導権をS男に委ねているとはいえない。むしろM女のほうが優位ともいえる。
「サービスのS、満足のM」論からすれば間違ってはいないともいえるが、SMの常識からすれば矛盾のかたまりのような生活である。

そんな自己矛盾だらけの私は結局、何を求めているのだろうか?

実を言うと、私は愛されたいという感情があまり理解できない。
人を愛することは理解できるが、愛と憎しみの違いがわからなくなったり、大切にしたいのに死んでほしくなったり、尊敬しているのに軽蔑してしまうというアンビバレンスな感情と戦うことになる。
自分が他人に向ける愛情に負い目があるからなのか、愛されると相手のことを信用できないのかもしれない。傷つけられることではじめて心を開けるところがあるのは否めない。